9月6日、東京展は無事に終了しました!
ご来場いただいた皆様ありがとうございました。
無事に撤収作業も終わり、担当Tは巡回先の大阪に出張中であります。
大阪といえば、やはり…
「大阪城」!!!

「伊勢神宮と神々の美術」は大阪城の目の前にある大阪歴史博物館で9月19日から開催します。

展示は順調に進んでおります♪
皆様、お楽しみに~
9月6日、東京展は無事に終了しました!
ご来場いただいた皆様ありがとうございました。
無事に撤収作業も終わり、担当Tは巡回先の大阪に出張中であります。
大阪といえば、やはり…
「大阪城」!!!

「伊勢神宮と神々の美術」は大阪城の目の前にある大阪歴史博物館で9月19日から開催します。

展示は順調に進んでおります♪
皆様、お楽しみに~

田舎の山道を歩いていると、地元の人たちが祭っている小さな祠みたいなものを目にするが、それをそのまま大きくしたような感じで、質素だが重厚な雰囲気がある。
中は10畳ほどに広さ。奥に神棚があり、神様の寄代となる鏡がある。

その上に、宗像大社の所以とも言える神勅「奉助天孫而(あめみまをたすけまつりて) 爲天孫所祭(あめみまにいつかれよ)」の額が掲げられている。

吉野さんが「献魚」をお供えし、国家安寧を祈る日々のお勤め「日供祭(にっくさい)」が始まった。吉野さんが祝詞を唱え、社殿や周囲の巨岩にこだまする。うるさいくらいだった鳥の声も、いつの間にか聞こえない。優しく吹く風とそよぐ木々の葉。神秘的な雰囲気に、目をつぶっていると近くに神様がいるような気がする。玉串を供え、低頭して「日供祭」は終わった。
社殿の近くには23もの祭祀遺跡がある。沖ノ島から出土した遺物の研究を行っている宗像大社文化財管理事務局の重住真貴子さんによると、沖ノ島での祭祀は、4世紀後半から10世紀まで、約600年間にわたって行われたという。はじめ巨大な岩の上で行われていた祭祀は、5世紀後半に岩陰での祭祀へと移行。その後、7世紀に半岩陰・半露天祭祀、8世紀には露天祭祀へ変遷していった。その過程について重住さんは、「人々の神に対する意識の変化が表れている」と話す。「人々ははじめ、神に近付きたいとの願いから、岩上に祭場を設け、神が降りてくるよう願った。そのうち、神を崇めるゆえに畏怖の念を抱き、神が宿ると考えられた岩から離れていったのではないか」と重住さんは分析している。
島での祭祀には、当時の大和政権が深く関わった。国内で製造された一級品だけでなく、海外との交渉で獲得した珍しい品々も神への献物に用いられた。出土したそれら遺物約8万点は全て国宝に指定され、沖ノ島が「海の正倉院」と呼ばれる由縁となった。
吉野さんにいくつか祭祀遺跡を案内してもらった後、社務所へ戻るため参道を下りる。しかし後ろ髪を引かれて、何度も社殿を振り返った。この神秘的で荘厳な空間は、今もなお古の時代と変わっていないのだろう。
社務所へ戻ると、吉野さんが社殿から持ち帰った献魚を調理してくれた。

この日は、鯛飯とイサキの刺身。

日供祭の最中も飛び跳ねていた魚は新鮮そのもので、口に運ぶと海の香りがあふれた。こういう魚を味わうと、僕らが普段口にしている魚は何なのだろうという気がしてくる。吉野さんは東京の大学で学んでいた際、東京の回転寿司店でウニを食べたが、薬品臭くて食べられなかったと話してくれた。そりゃ、こんな魚をいつも食べている人が、東京の回転寿司店の魚をおいしいと感じるはずがないですよ。
神職は島にいる間は自炊をし、漁師からの献魚を調理することもある。日供祭を終えると、神職は参道の掃除をしたり、読書をしたりと思い思いの時間を過ごすという。吉野さんは「島での10日間は、世間と離れ、自分を見つめる機会でもあります」と話す。こういう取材っぽい話だけでなく、いろいろと個人的な話もした。神職とはいえ、当然僕らと同じ人間なので、そりゃいろいろとありますよね。
吉野さんと話をしていたら、なんだかお腹と右足がチクチクと痛む。何気なく手を伸ばしてみたら、ブニョンとした感触が。「まさか!」と思って見てみると、話に聞いていたヒルがくっついているではないか。しかもヒルはかなり長時間、血を吸い続けていたのか、水を入れすぎた水風船のように太く大きくふくらんでいる。
無理やりひきはがすと、ヒルは怒ったのかヘビ花火のようにグニャーンと伸びて転がった。ヒルをティッシュでつまむと、吉野さんがどこかに捨ててくれた。長袖長ズボン、首にはタオル巻きをいう完全防備のヒル対策も無に終わった。「島に住んでいる僕ですらヒルに襲われたことはないですよ」と吉野さんに笑われ、ダブルでショック。
食事を終え、船が出港する時間になった。吉野さんは港まで見送ってくれ、「また会いましょう」と言葉をかけてくれた。吉野さんと再会することはもちろんだが、僕は再びこの島を訪れてみたいと思う。沖ノ島の厳しい掟のひとつに、「島で見聞きしたことを外に漏らしてはならない」という掟がある。その中で沖ノ島を取材させてもらったかげには、宗像大社の方々の多大なご厚意があった。そのご厚意のおかげで、たくさんの記事やらブログやらを書かせてもらえた。そのことを神様にご報告し、お礼を言うために。
沖ノ島を含む宗像一帯は現在、吉村作治・早大教授により、世界遺産への登録が提唱されている。吉野さんは「何よりも大事なのは、今まで受け継がれてきた原則や掟を守り続けることだと思います。地域の人々がいるからこそ、神社は成立する。地元の人々の気持ちを大切に、今まで伝わってきたものを残していくことで、沖ノ島は守られていくと思います」と話し、古から続く人々のまっすぐな祈りが、沖ノ島を守っていくことを印象づけた。(おわり)
全裸の禊も終わりました。
禊を終えて社務所へと戻ると、宿直の神職、吉野理さんから「今から社殿に参りましょう」と告げられた。吉野さんは、鏡餅を載せるような台に取っ手がついた物を右手に持っている。布がかぶされていて、何が載っているのかわからない。「何ですか、それ?」と聞くと、「漁師が神様へお供えするために持って来てくれた『献魚』ですよ」と教えてくれた。
海岸沿いの「沖津宮」と書かれた鳥居をくぐると、参道がスタートする。

参道は幅70センチ~1メートルくらい。階段状になっているが、舗装されていないので上りづらい。前を行く吉野さんは白衣に袴、草履といういでたち。しかし慣れているのか、すいすいと上っていく。さすが毎日行ったり来たりしているだけあります。
海に沿って参道を50㍍ほど上ると、高台に出る。

この高台には以前、社務所があったそうだが、台風の風で崩壊したという。「風の強い日は、ここは危険です」と笑う吉野さん。僕はもう息が切れているが、吉野さんは元気そうだ。この日も海からの風が強かった。
この高台から、参道は島の中央方面へ向きを変え、島を覆う森(というよりジャングル)の中へ参道は吸い込まれていく。

森の中は、昼間なのに薄暗い。人の手が入っていないので、木々は好き勝手に生い茂っている。

見たこともない不思議な色をしたトカゲが足元を横切っていく。あちこちから鳥の声が聞こえる。「ザヤザヤ」とか「キャー」とか「ふあふあふあ」とか、聞いたこともない鳥の声。うるさいというより、ちょっと怖いくらいだ。

森の中にも鳥居があります
道はぬかるんで、いよいよ歩きにくい。でも吉野さんは相変わらず、慣れた足取り。段差はより急になり、「ハフハフ」と息を切らしながら上っていく。「この時季はヒルがものすごい」と脅かされたため、前日に購入したパーカーを着たうえ、首にタオルを巻いていたので、ものすごく暑い。社務所を出るとき、吉野さんが「そんなの着ていると暑いですよ」と言った理由がわかった。
15分ほど森の中の参道を上り続けると、吉野さんが参道脇の森の中を指さし、「ここに祭祀遺跡があります」と教えてくれた。吉野さんに案内されて、参道から森の中へ。すると、木の葉にまぎれて、土器の破片があちこちに散らばっている。

ここは8~10世紀の祭祀遺跡「1号遺跡」で、中にははっきりと壺の口縁部と分かるものまで。

壺が土中から現れています。その向こうは壺の蓋でしょうか
この祭祀遺跡では、遺物がそのままの状態で置かれている。「この島には誰もいないので、遺物はそのままの状態で残されています」と吉野さん。暑さも忘れてしばし、この場所で古の人々が神に祈っていた姿を想像した。
「1号遺跡」を過ぎて2、3分歩くと、急に開けた空間に出る。森の中ではあるが、10㍍はあろうかという巨岩の群れがあちこちに林立している。「あそこです」と吉野さんが指さす方角。巨大な岩と岩に守られるように、ひっそりと沖津宮の社殿が建っていた。(次で最終回です)
忙しい方に30分で展覧会を見る方法を伝授します。
まず、入り口で作品リスト(無料)を手に入れます。
以下の作品のある場所を確認します。
1.日本書紀(No.3)
2.伊勢参詣曼荼羅(No.20)
3.大神宮御正体(No.30)
4.諸写御神宝図(No.46)
5.古神宝 玉纏御太刀(No.47)
6.金銅高機(No.61)
7.玉纏御太刀(No.70)
8.鶴斑毛御彫馬(No.97)
9.熊野速玉大神坐像・夫須美大神坐像(No.107)
会場内に見本で置いてある図録で該当の作品を読み込みます。
(最後に図録はショップで買いましょうね!!!)
以上の9つの作品をじっくり見てください。あとはさ~っと流してください。
そうすれば30分くらいで見ることができます。
お忙しい人は、是非、お試しを。
今日24日付けのSANKEI EXPRESSに「伊勢ごはん」の特集が掲載されています。
伊勢ごはんってなに?と思った人はすぐに駅のキオスクへ。
美味しそうなごはんの写真がど~んと載っています!
塩昆布がおいしそうです。
寛文九年とは、1669年。江戸時代は、4代将軍家綱の時です。時代もようやく安定してきて、戦国時代に約120年途絶えていた遷宮が慶光院の活躍などで復活して、何とか軌道に乗り始めたころでした。
でも、幕府は、この寛文九年の遷宮には慶光院の関与を排除したのです。当時は、神社からの仏教色を排除しようという神仏分離の気配が濃厚だったのです。水戸学で名高い水戸光圀もこの時代の人で、時代は「神様」だったのかもしれない。
また、この年の遷宮に将軍名代として吉良上野介が遷御に奉仕していたのです。
展示中の「寛文九年外宮正遷宮記」にその名前があります。
是非、探してみてください。
国宝の神像が展示されています。熊野速玉大社の「熊野速玉大神坐像・夫須美大神坐像」の2体です。
実はこの2体の神様、8月30日までの展示です。なぜかといえば、とても人気のある(?!)神様なので、9月8日から和歌山県立歴史博物館ではじまる「熊野三山の至宝-熊野信仰の祈りのかたちー」でお出ましになるからです。
そんなわけで、東博では8月30日までですので、お忘れなく!
本日は産経新聞ファンクラブ、ウェーブ産経の会員様向けのスペシャル企画がありました。

なんと、上野精養軒でランチをして、そのあと、
東京国立博物館 上席研究員 原田一敏先生による
「伊勢神宮と神々の美術」に関する講演を聞き、さらにその足で会場で作品まで堪能できて
しまう!というもので、とても多くのお客様にお運びいただきました

伊勢神宮自体・今回の出品作品についてなど、スライドも使いつつ、
丁寧にわかりやすくお話をしていただき、お越しいただいたお客様からも
「とてもわかりやすかった」「展示を見るのがより楽しみになった」
などのお声をたくさんいただけ、我々もとてもうれしかったです。
ちなみに、ウェーブ産経の会員になると、この伊勢神宮と神々の美術を
当日一般1400円のところ、なんと、900円で見れてしまうのです。
なんとお得な・・・
入会方法についてはこちらをご覧くださいませ↓
http://www.sankei.co.jp/wave/html/rulescheck.html
9月6日まで、と会期も迫ってまいりました。
皆様のお越しをお待ちしております!(A)
by 伊勢神宮と神々の美術
会期も半分をすぎて・・・